2003年 08月 24日
家ごと撃つ!?
第二次大戦中、ドイツ陸軍には何人もの戦車エースと呼ばれる辣腕将校達がいました。
その中の一人、オットー・カリウスさんも、東部戦線から負傷して帰った後は、主に訓練生の教官をしていました。
ところが戦局は厳しさを増し、彼は第512重戦車駆逐大隊所属の中隊長として、再び前線に立つことになったのです。
ここでは彼の著書にもある、家ごとアメリカ戦車を撃って撃破したということを、ドラマ仕立てで紹介しましょう(詳細は妄想ですよ(笑))
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
場所はフランスの片田舎。
彼はティーガー重戦車ではなく、超兵器ヤークトティーガーの戦車長として乗っています。
彼は前方に、一台のアメリカ戦車がいるのを見つけました。
戦車長:「何だ、あのヤンキー? えらく荒っぽい運転だな。」
操縦手:「中尉、あそこの農家の裏手に逃げ込んだみたいですぜ。」
砲 手:「ふん、ヤークトティーガーと見てビビリやがったな。」
(当時、ヤークトティーガーは世界最強の対戦車突撃砲でした。)
ここで、オットーさんは『この戦車の大砲を一回撃ってみたい』と思ったそうです。
操縦手:「やっこさんが出てくるまで待ちますか、中尉?」
戦車長:「…よし! 遅延信管を調整して、徹甲弾(対戦車用の弾)装填!」
装填手:「え? りょ、了解!」
砲 手:「えぇ!? やっこさんはまだ農家の向こう側ですぜ。弾が届かないんじゃ?」
装填手:「装填完了!」
戦車長:「砲手! 距離を合わせろ! 目標、農家の壁! フォイヤッ!フライ!(撃てーっ!)」
バガガーン!!
轟音と共に農家の壁が吹き飛びます。
戦車長:「命中! 次弾装填!」
装填手:「了解! … 次弾装填完了!」
戦車長:「撃てーっ!」
ドガガーン!!
2発目で、アメリカ戦車は爆発炎上しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この話は、彼の持つエピソードの中ではわりあい有名なのですが、彼はこの重くて動作の鈍いヤークトティーガーが大嫌いだったそうで、この頃の体験談については口が重くなってしまうのだそうです。
彼は自著の中でこう書いています。
『このような戦争の段階(※)で、この最高の兵器に果たしてどのような見返りがあるのだろうか?』と。
兵器にはいつの時代も、むなしい思いがまとわりつくようです。
(※)終戦間際のこと。 ヤークトティーガーは終戦間際に100両弱(一説では77両)が生産されたに過ぎなかった。
(写真は、1945年4月9日にアメリカ第1軍第8歩兵師団により捕獲されたⅥ号重駆逐戦車ヤークトティーガー。第512重戦車駆逐大隊第1中隊所属車です(カリウス氏は第2中隊)。後ろの人と家との対比で、その巨大さがわかりますね)
その中の一人、オットー・カリウスさんも、東部戦線から負傷して帰った後は、主に訓練生の教官をしていました。
ところが戦局は厳しさを増し、彼は第512重戦車駆逐大隊所属の中隊長として、再び前線に立つことになったのです。
ここでは彼の著書にもある、家ごとアメリカ戦車を撃って撃破したということを、ドラマ仕立てで紹介しましょう(詳細は妄想ですよ(笑))
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場所はフランスの片田舎。
彼はティーガー重戦車ではなく、超兵器ヤークトティーガーの戦車長として乗っています。
彼は前方に、一台のアメリカ戦車がいるのを見つけました。
戦車長:「何だ、あのヤンキー? えらく荒っぽい運転だな。」
操縦手:「中尉、あそこの農家の裏手に逃げ込んだみたいですぜ。」
砲 手:「ふん、ヤークトティーガーと見てビビリやがったな。」
(当時、ヤークトティーガーは世界最強の対戦車突撃砲でした。)
ここで、オットーさんは『この戦車の大砲を一回撃ってみたい』と思ったそうです。
操縦手:「やっこさんが出てくるまで待ちますか、中尉?」
戦車長:「…よし! 遅延信管を調整して、徹甲弾(対戦車用の弾)装填!」
装填手:「え? りょ、了解!」
砲 手:「えぇ!? やっこさんはまだ農家の向こう側ですぜ。弾が届かないんじゃ?」
装填手:「装填完了!」
戦車長:「砲手! 距離を合わせろ! 目標、農家の壁! フォイヤッ!フライ!(撃てーっ!)」
バガガーン!!
轟音と共に農家の壁が吹き飛びます。
戦車長:「命中! 次弾装填!」
装填手:「了解! … 次弾装填完了!」
戦車長:「撃てーっ!」
ドガガーン!!
2発目で、アメリカ戦車は爆発炎上しました。
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この話は、彼の持つエピソードの中ではわりあい有名なのですが、彼はこの重くて動作の鈍いヤークトティーガーが大嫌いだったそうで、この頃の体験談については口が重くなってしまうのだそうです。
彼は自著の中でこう書いています。
『このような戦争の段階(※)で、この最高の兵器に果たしてどのような見返りがあるのだろうか?』と。
兵器にはいつの時代も、むなしい思いがまとわりつくようです。
(※)終戦間際のこと。 ヤークトティーガーは終戦間際に100両弱(一説では77両)が生産されたに過ぎなかった。
(写真は、1945年4月9日にアメリカ第1軍第8歩兵師団により捕獲されたⅥ号重駆逐戦車ヤークトティーガー。第512重戦車駆逐大隊第1中隊所属車です(カリウス氏は第2中隊)。後ろの人と家との対比で、その巨大さがわかりますね)
by ex_kazaguruma
| 2003-08-24 10:00
| ミリタリー
|
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