虹色のかざぐるま windmuehle.exblog.jp

思いつくことを思いついたときに。心のかざぐるまをまわそう。


by ex_kazaguruma
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

<   2008年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

思い出の水生昆虫

 水生昆虫という言葉をご存知でしょうか。水中(水上)を住みかにしている昆虫のことを、水生昆虫と呼んでいます。
 私が水生昆虫に興味を持ったのは、今から40年近くも前の小学校5年生くらいのときだった思います。
 当時、家から8キロほども離れた丘陵地に住宅造成地がありました。山を削って造られた場所で、もともと昆虫類は豊富。削り取った土地には雨水が流れ込み、即席の湿地帯のようになっていたものです。
 この“湿地帯”に、水生昆虫をはじめとして、たくさんの昆虫類が集まっていました。
 当時は近くに田んぼも多かったので、雨で流されてきたのか、メダカなどの小さな魚やカエルなどもいたように思います。
 たくさんの水生昆虫もいました。
 アメンボ、ミズスマシ、ガムシ、ゲンゴロウ、マツモムシ、コオイムシ、ミズカマキリやタイコウチ、ギンヤンマやシオカラトンボのヤゴなどなど。
 残念ながらタガメは見たことがありませんでした。当時でもそれだけ数が少なくなっていたのだと思います。
 この中でも私が好きだったのは、ミズカマキリとタイコウチです。
 特にタイコウチはお気に入りで、家に持って帰って飼っていました。
 タイコウチはタガメと同じくカメムシの仲間で、比較的長生き(2~3年)なうえに飢餓に強いので、一日くらいエサをやるのを忘れても大丈夫です。
 また、水が多少汚れてもけっこう強いので飼育はかなり容易なほうだと思います。ミズゴケに卵を産み付けるのですが当時は脱脂綿をミズゴケ代わりに使っていました(それでもちゃんと産卵してくれました)。
 卵をかえして増やすこともできますが、共食いするので「密度」には注意しなければなりません。
 幼虫のうちは何しろ小さいので餌の選定が大切です。釣りの餌につかう赤虫(ユスリカの幼虫)がいいですが、タイコウチの幼虫は少食なので、赤虫を買ってきても全部使い切る前に蚊になってしまいます。
 そこで私は、水を入れた空き缶をいくつか中庭に置き、「蚊がわく仕掛け」を作ってタイコウチの幼虫のためにボウフラを「生産」していました。ただ、本当に蚊になるとウザイのでオニボウフラ(蚊のサナギ)が出た時点で廃棄します。
 成虫の餌は熱帯魚屋(今ではペットショップでしょうか)に売っていた餌用の小型の金魚(エサ金)です。当時は金魚も飼っていましたので、“エサ金”の保存?には問題がありませんでした。

 今では都市部で自然な状態でこのような水生昆虫に出会える機会はほとんどないと思います。
 あの当時、ホンモノに接することができてよかったと、心からそう思っています。
[PR]
by ex_kazaguruma | 2008-08-30 19:24 | 虫くんたち | Comments(0)

ある夫婦の話

 私がまだ若かった頃、お盆で親戚の家に行ったとき、親族からこんな夫婦の話を聞いた。
 (この夫婦は私の遠い親族にあたる)

 昭和20年頃、名古屋の熱田神宮の近くに、ある夫婦が住んでいた。
 中年を過ぎて久しい年齢であったが、夫は健康そのもの。しかし妻は足が不自由で歩けない状態であった。
 太平洋戦争の動向が決定的になった昭和20年3月。米軍は名古屋の中心部に大規模で執拗な空襲を行った。
 夫婦はこの後もこの地に空襲が続くと考え、疎開することを決意する。
 特に足の不自由な妻をどう疎開させるかは、大きな課題であった。
 夫はまず、家財道具で必要なものを疎開先へ送り込み、しかる後に妻を疎開先へ連れて行くという方法を考えた。
もちろん送り込むといっても、現在のように運送業が十分に活動しているわけではないので、自力で必要なものを少しずつ搬送していたのだという。
 必要な家財道具は何とか疎開先へ移送することができ、さぁ妻を連れて疎開先へという矢先、世に言う熱田空襲が始まってしまう。
 熱田空襲は軍部の隙をついた形で、いったん空襲警報が解除された後に行われたため、多くの犠牲者が出た。
 夫婦はこの空襲の犠牲になった。
 もしその時、非情に妻を見捨てて自分だけ逃げれば、夫は助かったかもしれない。
 しかし現実には、夫が足の不自由な妻をかばうかのような形で折り重なり、焼死していたという。

 たくさんの犠牲者が出た中で、なぜこの夫婦だとわかったか。
 それは妻が当時ではもう珍しかった「お歯黒(鉄漿)」をしていたからなのだという。

 この夫婦の話を聞いて、若い私は思った。
 将来、自分が結婚してこの夫婦と同じような年齢になったとき、私は自分の妻に対してこの夫と同じことができるだろうか、と。
 もちろん時代は当時と異なり、戦争状況下でないだろうけれども、妻に対する愛情(というよりも覚悟とか責任という言葉がふさわしいと思うが)を極限状況下で発揮することができるだろうか、自分でもはなはだ疑問に思う。

今の10代、20代の若者に、この夫婦はどう映るのであろうか。
[PR]
by ex_kazaguruma | 2008-08-16 10:31 | 回想録 | Comments(2)

父の戦時体験

■兵役免除
 私の父(大正11年9月1日~平成14年3月12日)は、普通ならば太平洋戦争に徴兵された年代です。
 が、父は左胸の肋骨を一部なくす大ケガをした経緯があって、兵役に適さない丙種というランク付けをされていました。
 このため、当時名古屋の千種精機という小さな工場で旋盤工として働いていた父は兵役に就かず、中島飛行機 武蔵製作所で働くこととなりました。
 父はそこで、主に疾風(はやて)のような戦闘機の燃料ポンプを製造していたそうです。

■開店休業
 ところが戦況が進んでいくと生産現場は開店休業状態となり、廃木材を集めて毎日のように下駄を作っていたそうです。班長をしていた父の部下には多くの女の子がいたらしく、この下駄はけっこう人気があったとのことです。当時、履物さえ不自由だったでしょうから、なかなかしゃれたアイディアだったと思います。

■焼き芋屋
 当時サツマイモはよくおやつとして配給されていたそうです。このあたりの事情は軍需工場ならではで、世間では食うや食わずやという状況でも軍関係の施設では比較的潤沢に物があったことを連想させます。このことについては父も認めておりました。
 しかし、おやつもサツマイモ一辺倒だったため、工場内ではかなり飽きられていたそうです。
 特に男連中はサツマイモが苦手なうえ、焼くこともままならないため、各所で余ってしまっていました。父は各班を回って余ったサツマイモをかき集め、燃料コークスを入手して火を起こし、これを焼いて部下の女の子たちにあげていたそうです。コークスに点火するにはかなりコツが要るらしく、鍛冶屋の経験があった父ならではのことでした。

■敗戦の確信
 戦況が厳しくなっていったある日、工場の近くにB29が墜落したそうです。
 父は工具を自転車に積み、墜落現場に急ぎました。
 持って来た工具で急いで燃料ポンプを外し、持ち帰ってきたそうです。
 その燃料ポンプを、今自分達が作っている燃料ポンプと比べてみたそうです。
 結果は一目瞭然。
 日本のものには燃料漏れを防ぐため各所にパッキンやオイルシール用のリングなどが使われていたそうですが、B29のものにはねじ込むだけで密閉されるように工夫されたネジが切ってあったそうです。
さらに材質も全く違い、B29のそれは金ノコを入れてもなかなか歯が立たないような硬いものであったそうです。また、重量はほぼ半分ほどしかなく、堅牢かつ軽量な上に部品点数を極力少なくする工夫がなされていました。(※1)
このとき、父は「日本は戦争に負ける」と確信したそうです。
(※1)このエピソードは父から聞いたものですが、燃料ポンプを外すことが一人でできたかは怪しく、おそらく何人かのグループで駆けつけて、憲兵がやってくる前に“仕事”を済ませたものと考えられます。

 今日は63回目の終戦の日。
 戦争は体験していないが、戦争体験を直に聞いた世代として、伝えるべきことがたくさんあると思った次第です。
[PR]
by ex_kazaguruma | 2008-08-15 08:54 | 回想録 | Comments(2)

なつのおもひで

 小学生のとき、夏休みになると虫捕りが日々の仕事のようになっていたなぁ。
 近くの市営球場へ行くと、バッタやキリギリス、チョウやミツバチがいっぱいいてさぁ。
 生まれて初めてミツバチに刺されたのもここだったっけ。びっくりしたなぁ。
 初めて「オオスカシバ」ってガを見たのもここだった。ハチドリのようにキレイだったけど、翅がブンブンうなってて、ちょっと怖かったなぁ。
 市営球場の「客席」は深い草むらになっててね。キリギリスやカマキリなんかがたくさんいたなぁ。
 で、今度は下に降りて「ダグアウト」から球場に出てみると、短い芝生があってさ。
 そこにはトノサマバッタがいっぱいいるわけね。よく捕ったなぁ。

 市営球場へ行かない日は、近くの線路の土手に行って虫を捕るの。
 アブなんかもたくさんいたけど、刺されたことはなかったなぁ。
 ここでも主役はキリギリス。よく鳴いてたけど、捕まえるのは難しかったよ。
 セミは捕まえてもすぐに死んじゃうから、捕まえたら適当に観察してすぐに放してやるのね。
 ギーギーうるさいせいもあるんだけどさ。

 夏の虫で飼ってたのは、カブトムシ。
 水槽に土を敷いて、夏のキャンプのときに捕まえたのや、夏祭りで買ってもらったのを大事に飼ってたなぁ。スイカの皮やキュウリをあげてさ。
 ある夜、網戸にバンバンとぶつかる音がしてたんだ。びっくりして見に行くと、水槽のカブトムシのメスが逃げ出してたの。上手く捕まえることができて逃げられずにすんだ。
 結局、子供を増やすことはできなかったけど、毎日飽きずに見てたっけ。
 夏の終わりに死んでしまったときは悲しかったなぁ。

 もう40年近く前の出来事だけど、覚えているものだなぁ。
 今年も夏休みがやってきました。
[PR]
by ex_kazaguruma | 2008-08-10 17:41 | 回想録 | Comments(0)

ロゴ画像を変更

初めてトップのロゴ画像を替えました。
つい先日橿原市昆虫館へ行ったとき、のんびり日向ぼっこをしていたジャコウアゲハくんです。
黒い翅に赤いアクセントがキレイですね。
[PR]
by ex_kazaguruma | 2008-08-09 08:34 | ご挨拶 | Comments(0)

特別オーダー品

 タバコをやめてからというもの、居酒屋があまり好きでなくなってしまったため、ファミレスとかいろんなところでお酒を楽しむようになってしまった。
 ここ数年は回転寿司屋が私の「居酒屋」である。
 ただ、お酒にご飯は悪酔いの元なので、寿司はほとんど食べない。
 最近はこの手の寿司屋も、酒の肴になるような居酒屋メニューをいくつか置いてくれているので、非常に助かるのだ。

 が、何度も足繁く通っていると、やはり同じメニューには飽きてくるので、結局「特別オーダー」をすることになってしまう。
 私の行きつけの寿司屋は、ホントに寿司だけしか握れない店員とバイト君がほとんどだが、ほんの1~2名だけ、このような「料理」を作ることができる。
 写真はマグロのバラ(薔薇)盛り、380円なり。
 これで日本酒の一合は十分に飲めてしまったりする(笑)

d0124362_183405.jpg

[PR]
by ex_kazaguruma | 2008-08-05 18:04 | 料理・食べ物 | Comments(0)