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虹色のかざぐるま windmuehle.exblog.jp

思いつくことを思いついたときに。心のかざぐるまをまわそう。


by ex_kazaguruma
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電撃戦

 膠着(こうちゃく)した塹壕戦を打破すべく開発された戦車ではあったけれども、戦いの主役はやはり歩兵。
 陸戦は常に歩兵を軸に立案され、編成され、実施されていた。
 事実、戦車が必要になるのは、抜き差しならない塹壕戦になったときだけなので、戦いの最初から最後まで、ずっと必要というわけではなかった。
 戦車自体の生産数も限られており、古い考え方を持つ将校が指揮する部隊では、疎ましがられる場合も少なくなかったようだ。

 何しろ、エンジンの性能も現在とはかけ離れており、自走してもせいぜい5~6kmの速度しか出ない「カタツムリ」(笑)。
 機動力がゼロに等しいその「怪物」を、前線まで運ぶことは並大抵ではなく、特別な支援部隊を編成する必要もあっただろう。
 またその重量ゆえの故障も多く、整備や燃料などの問題も無視できなかった。
 確かに、出るときに出れば強力な助っ人になるのは分かっていたが、長らく歩兵と馬だけで戦ってきた当時の軍隊には、「新参のお荷物」と揶揄されたこともあっただろう。
 さらに、堅牢に守られた戦車の中で戦う「戦車乗り(戦車兵)」は、歩兵に比べれば一段低く見られていたかもしれない。

 ところが多くの戦車が生産され、前線に送られるようになると、この怪物はめきめきと頭角を現すようになった。
 第1次世界大戦で、歩兵戦の限界を打破する目的で生まれた戦車であったが、戦車本来の使い道は、もう少し後になってから、奇しくも戦車に「やられた国」によって完成されるのだ。

 戦車のまったく新しい運用方法は、第1次世界大戦の敗戦国ドイツの戦車部隊創始者、ハインツ・グデーリアンによって生み出された。
 この天才将校は、戦車の黎明期より独学でこのまったく新しい兵器の運用について考えを巡らせていた。
 彼は、この戦車を独立の部隊として運用することを提案したのだ。
 当時、彼の考え方を理解する将校などいるはずもなかったが、ヒトラーが彼の後ろ盾になったことにより、世界初の「機甲師団」がドイツに生まれることになる。

 グデーリアンは、戦車同士が無線連絡しながら、高速で敵陣を突破する方法を提唱していたのだ。
 人呼んで“Blitzkrieg”(ブリッツクリーク)。電撃戦と訳せるだろうか。
 彼はこの方法を独自に生み出し、自分の部隊にそれを理解・修練させ、ポーランド侵攻によってそれを実行。
 自ら生み出した戦術の確かさを、自ら指揮した実戦で立証するという離れ業をやってのけたのだ。
 今まで戦車は歩兵の「助け舟」のような存在だった。
 しかし、電撃戦によって戦術はまるっきり変わってしまった。
 この戦術は、敵陣を高速に突破した戦車部隊の後から、歩兵師団が敵の残党を掃討し、その場所を占領・運営していくというものだったから、戦車の速度に歩兵も追従しなければならなくなった。
 歩兵にも機械化が進められ、兵員輸送車など戦車以外の車両も進化を遂げていったのだ。

 それでは戦車師団と歩兵師団の関係は、悪いものだったのだろうか?
 少なくとも、当時のドイツではそれは大きな問題ではなかったと思われる。
 なぜなら、電撃戦は、複数台の戦車と歩兵が協力し合って戦わないと、成功はおぼつかない。
 戦車が歩兵を、歩兵が戦車を、お互いに補い合って戦わなければならないので、いがみ合っていることは、自らの「死」を意味するからだ。
by ex_kazaguruma | 2003-09-08 10:00 | ミリタリー | Comments(0)